高尾倶楽部JAZZ LIVE《華岡将生&須古典明 音を描くvol.3》

日時:2019年7月6日(土)18:00~

場所:ヴィ・マエストロ

出演:華岡将生(フルート) 須古典明(ギター)

 

 

 

華岡将生&須古典明ジャズライブ「音を描く」もシリーズ3回目を迎えました。デュオの演奏の妙味と共に、初めてのお客様の感動と常連のお客様のワクワクが交じり合い、目には見えないけれど、何とも心地よい空気が動くのを感じました。この雰囲気がライブ終了後のディナータイムの会話につながっていました。

 

この時だけのプレミアムな曲の数々

浜辺で馬が速歩する様子、大型犬が波打ち際で戯れる様子が浮かぶ≪浜辺の歌≫、ギターの野太く、力強い和音と吹きながら絞り出すように歌うフルートが描く《アメイジンググレイス》は作詞者ジョン・ニュートンの思いをそのまま伝えているかのようでした。「日本の夏はジャブリを飲むためにある」の話で演奏されたボサノバ調《夏の思い出》、などなど今回も振れ幅大きいライブを堪能していただきました。

 

当日演奏曲目

1.FAIIING IN LOVE WITH LOVE

2.FEELING

3.丘を越えて

4.浜辺の歌

5.アメイジンググレイス

6.シェルブールの雨傘

7.IT COULD HAPPEN TO YOU

8.夏の思い出

9.カッチーニのアベマリア

10.サマータイム

11.(スピーディー・ワンダーの曲)

12.どうにも止まらない

13.シェナンドー

 

シェナンドーとアメリカの歴史

“どうにも止まらない”でライブ感がどうにも止まらない状態に包まれてしまったところでアンコール曲は「シェナンドー」。

「シェナンドー」はアメリカで19世紀前半から歌われている伝承歌。船乗りたちが歌う労働歌、白人の男性が酋長の娘「シェナンドー」に恋をするラヴソング、など様々な解釈があります。長い間に歌い継がれていくうちには様々な歌詞が付けられていきました。優しく静かなメロディー故にアメリカ版《ふるさと》と言われるのも納得できます。

メロディはおなじみですが、どのような背景でアメリカ版《ふるさと》ができたのだろうとネット検索したところ、移民法の制定によって西部への移住を余儀なくされた先住民の苦難の歴史を大阪メンズコーラスのサイトで改めて知ることとなりました。抜粋します。

 

現在シェナンドーの地名が残っているのは、アメリカ東部、アパラチア山脈の南、
ヴァージニア州のあたりです。シェナンドー川、シェナンドー渓谷、シェナンドー山脈、
シェナンドー国立公園など。そこが映画「シェナンドー」の舞台であり、
ジョン・デンバーの「Country Road」でシェナンドー川のほとりと歌われた所です。
わかりやすく言えば、ワシントンDCから車で気軽に行ける所、
東海岸と言ってもいい所です。
アメリカ中部のミズーリ川、ミズーリ州とは全く方向違いで、
仮にミズーリ川→ミシシッピ川と川伝いに行っても、
地理的にシェナンドー川に行くのは不可能でしょう。
一般的に川を行く舟人達のシャンティーと言われていますが、何か気になります。
ホームページでこの疑問を投げかけている人もいますし、
この歌を訳してみようとした人は、皆一度はそのことを感じるのではと思います。
だからこそ、シェナンドーは、「ミズーリ川沿岸に住むインディアンの酋長の名前」
にしておき、そこから新しい物語を作る方が楽です。
この歌の題名も、Shenandoah だけでなく、
Shennydore, The Wide Missouri, The Wild Mizzourye
など、いくつかあるようです。

アメリカの歴史を調べているうちに、次のような史実を知りました。
1830年に、アメリカ東南部一帯に住むインディアン諸国家に対し、
ミシシッピ川の西側に移住させる法律が制定されました。
民族間の問題もあったでしょうが、1828年にアパラチア山脈南部で
金脈が発見されたことが大きなきかけとなったようです。
このあたりに住んでいたチェロキー族は、
1938年10月から翌1939年3月にかけて、
オクラホマまで1300キロを移動していきます。
その移動も、白人が武器を使った強制的で暴力的なものでしたし、
冬の気候の元、劣悪な条件の中での移動でした。
移住者総数1万数千人のうち、4分の1が死んだと言われています。
その行程は「涙の道」と呼ばれています。(後略)

アメリカの移住政策で遠くの地へ命をかけて移住して行かなければならなかった、先住民ーインディアンたちの「涙の道」を思わずにはいられません。

 

ヴィ・マエストロのプレート

季節を取り入れたプレートは毎回楽しみです。今回はとうもろこし。茹でて、粒を外す手間をかけたトウモロコシサラダは香り、甘み共に季節の味わいでした。