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代官山猿楽祭2017『Gent@rrabbiata』

2017年10月9日(月)ヒルサイドプラザ

佐藤望(バリトン)

野村洋光(バリトン)

高柳圭(テノール)

後藤春馬(バス)

中山博之(ピアノ)

 

 

代官山駅から旧山手通りに出て、猿楽祭の出店を覗き、ボルゾイ4頭と出会い(昨年も会った。高貴な姿、フレンドリーな性格に魅了されます)、ヒルサイドプラザで祭りの一環として開かれた『Gent@rrabbiata』、男性ソリスト4人が中山博之氏(ピアノ・作曲)とともに繰り広げるパワフルな男たちの舞台に行きました。猿楽祭でのこのコンサートは今年で4回目となります。

なじみが少ないオペラアリア、ラフマニノフ作曲《アレコ》より「すべては寝静まり、月は美しく輝く」や複雑怪奇な状況で歌われるアリア、ベッリーニ作曲《清教徒》より二重唱「リッカールド!リッカールド!」については舞台背景やアリアの内容を相模原の神童と自己紹介された中山博之氏の機知に富んだ軽妙な解説は聴く楽しみを生み出しました。また、大まかには知っているオペラ全体の話やアリアについては解説で記憶のあやふやさをきれいに消して楽しめました。

男の滑稽さ、切なさ、悲しみ、まじめさを余すところなく表現するアリア、歌曲が並び、男の歌祭りそのものでした。中山博之氏のピアノ独奏「ウィリアムテル序曲」は持てるエネルギーすべてを使いきるこれぞ『男』の演奏!と感嘆しました。

後半の中山博之編曲メドレーは会場全体を笑いの渦に巻き込み、カンツォーネの数々では威勢のよい掛け声が会場全体から湧き上がり、会場内も祭り気分で満たされました。

エネルギーはここではまだ途切れず、アンコール《メリーウィドウ》より「ああ、女というものは」は拍手の後押しもあり、4回(だったと思う。5回ではないと思う)繰り返され、ようやく幕がおりました。

舞台小道具出し入れも全て出演者が行い、その愉快な仕草も演出の一部かと思わせる仕立ては音楽家と観客の距離を縮めました。クラシックはどうも苦手と思う方々にも是非一度足を運んでいただきたい企画の一つでした。

 

都響ハイドンオラトリオ《天地創造》

都響ハイドンオラトリオ《天地創造》

9月11日サントリーホール

指揮/大野和士

ソプラノ/林正子

テノール/吉田浩之

バリトン/デートリッヒ・ヘンシェル

合唱/スウェーデン放送合唱団

 

『敬虔な宗教的感動も、五感を刺激するような目くるめくスペクタクルも、さらにはオーケストラの魅力も声楽の素晴らしさも同時に体験できるハイブリッド・ジャンル』(出典:月刊都響2017年9・10月月号)この文章が9月11日のコンサートの様子を余すところなく伝えています。

カトリックでもプロテスタントでもなく、家の宗派は仏教に属するとはいうものの、日常生活では宗教とは縁遠く、「科学的根拠は何?」と考えがちな暮らしをしていますが、演者の描き出す色のある音楽世界に入り込み、世界はこのようにして作られたと信じたい気分になりました。

一人一人の声を溶け込ませた、ハーモニーは神様のそれかと感じたスウェーデン放送合唱団、独唱者の豊かな表現力(個人的には特にバリトンのデートリッヒ・ヘンシェル氏)、都響のすべやかな演奏に支えられた演奏でした。

豪華な舞台装置や衣装はないけれど、ミケランジェロ作、システィーナ礼拝堂の天井画《天地創造》 -実際には見たことはないけれど- がサントリーホールの天井に描き出されていく様が浮かぶようでした。

終演後、ホール内には静かな低い称賛の声と拍手で埋め尽くされ、ホール内全体に照明がともされた後も席を立つことなく、拍手を続けれらる観客が多かったのも特筆されることと思います。

ホールを背にし、歩き始めた時、「よかったですね」「あまりに感動して、知らない人いだけど声をかけたくなりました」と話しかけられました。これもコンサートの感動を一層深くしたできごとでした。

 

 

 

華岡将生(Fl)&須古典明(Gt)ジャズライブ

華岡将生(Fl)&須古典明(Gt)ジャズライブ

2017年8月26日(土)

場所:ヴィ・マエストロ

出演:華岡将生(フルート)須古典明(ギター)

 

 

 

 

 

 

 

フルートとギターは阿吽の呼吸、思わず飛び交う掛け声が生み出す一体感 ―掛けずにはいられない魂がクリアと感じる音!-、体が自然と反応してしまう心地よさ、、、今、この時、大人でいることができてよかった、わくわくするそんな気持ちが湧き上がってくる時間が流れました。客様と演奏者どちらもが時を忘れて音楽の世界で遊んだ時間でした。

音楽に興味を持たれたきっかけを華岡さんと須古さんに聞きました。華岡さんは小学6年生の時、父上が購入してこられたクラシックレコードに感銘を受けて、ショパンやシュトラウス、チャイコフスキーのレコードを毎日聴くようになったことが始まり、中学時代野球少年だった須古さん、高校生の時、父上が購入してこられたレコード(ジャクソンファイブのABC)を聴いた時、背中に音楽が走ったのがきっかけとなり、ラジオで音楽を聴くようになったとのことでした。

華岡さんに追及している音楽とはどんな音楽か聞きました。答えは「自分が理想とする音を完成させ、その向こうにある音」でした。お二人の演奏には大人の理性と少年の純粋さがまじりあっていると感じました。華岡さんのおっしゃる「その向こうの音」を聴く時までジャズライブ企画を続けたいと切に思った時間でした。

ジャズライブということもあり、アルコールの進みも快調な食事タイムとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京オペラシリーズ「滝の白糸」ハイライト

東京オペラシリーズ「滝の白糸」ハイライト
東京オペラシティリーズ第99回(東響コーラス設立30周年記念公演)

プログラム

弦楽のための三楽章「トリプティーク」 作曲:芥川也寸志

管弦楽幻想曲「飛天繚乱」 作曲:團伊玖磨

饗宴 作曲:黛敏郎

オペラ「滝の白糸」から第3幕 作曲:千住明 原作:泉鏡花「義血侠血」台本:黛まどか

滝の白糸:中嶋彰子(ソプラノ)

欣也の母:鳥木弥生(メゾ・ソプラノ)

村越欣也:高柳圭(テノール)

オペラ「滝の白糸」はオペラではあるけれど、演劇の要素も濃く、“オペラ”になじみのない方でも十分に楽しむことができる舞台です。今回取り上げられた第3幕最後に語られる、滝の白糸の心情、村越欣也の母の思いやりは近年、接することのない美しい日本語で語られます。そして村越欣也は検事代理という職務で発する言葉の内側に観客は限りない哀切と澄んだ愛を感じ取ることができます。客席で涙する姿が見られたのも自然なことと感じました。

竹の秋」「奈辺(なへん)」「あまつさえ」「さなきだに」など今の暮らしの中では聞くことのない言葉がオペラ全体を通して紡がれています。これらの言葉が登場人物をより深く描き出します。言葉の美しいアリアが登場人物と同化した中嶋彰子さん、鳥木弥生さん、高柳圭さんの体を通り、歌として伝わってくる感覚を表す言葉が今は見つかりません。

オペラ「滝の白糸」は2014年泉鏡花生誕の地、金沢で初演された後、東京新国立劇場、2015年に再び金沢で公演されています。これからも公演の機会をたくさん作ってほしいオペラの一つです。

前半は團伊玖磨氏、芥川也寸志氏、黛敏郎氏、「3人の会」の作品が並びました。『「自分の考える理想の音楽』を目指して、誰かに頼まれて曲を書くのではなく、書きたい曲、聴きたい音を世に問う…』とプログラムの解説に結成時の言葉が書かれてありました。

聴いて、なるほど、その意図通りにそれぞれの道を全うされたのだなと納得しました。楽器の使い方もあっと意表を突く場面もあり、「自分の考える理想の音楽」の表れの一つと思いました。交響曲については日本の作品に接する機会がなく、生で聴くのは今回が初めてでした。そのためか、楽しむという領域に達することはできませんでしたが、今まで手にしたことがない正絹の風呂敷、様々な柄構成の風呂敷の結び目に手を伸ばしたような印象がありました。この初体験を何かにつなげたいと漠然と考える今日この頃でもあります。

 

 

 

 

薮田翔一歌曲集&椿姫ハイライト

薮田翔一歌曲集&椿姫ハイライト

 

日本の夏!とはっきりわかる湿度をまといながら赴いた三鷹芸術文化センター風のホール。ホール内は期待通りのほどよい空調、入口を彩る花、花、花。コンサートでよくお会いする方もちらりほらり。始まる前の独特の空気もコンサートの楽しみの一つ。

薮田翔一歌曲集

6月に始めて薮田氏のヴォーカリーズ曲『風神雷神』や中原中也の詩をに曲をつけた作品に出会い、どんな方だろうと強く興味を惹かれていました。今回、ご本人から直接お話しを聞くことができました。優しい風貌とすらりとした姿の内側に何事にも囚われない自由、繊細、力強い、遊び心等々をひっくるめた芸術性を宿している34歳の青年作曲家でした。辰巳琢郎氏に問われて話す様子は妙なたとえですが、平安王朝の貴族かと思ってしまいました。お祖母さまが中也の詩が好きで、翔一氏が小学生の頃からよく読んで聴かせてくれた体験が中原中也の詩に注目する作曲活動にも深く関わっているそうです。

 

人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそる叙情性をこんなに若い作曲家が伝えることができるのかと感嘆しました。

前半は日本歌曲ということで女性陣は浴衣姿、男性陣は白シャツに黒ズボンに下駄。下駄を履いて歌う感覚はいかようかなと歌う方々を気遣う気持ちを抱えつつ、季節の風情も一緒に楽しみました。

中原中也の詩による作品

エキセントリックと言われる中原中也の生き方から生まれた作品は音楽との馴染みがとてもよく、心に染みると2回聴いて思いました。

百人一首『君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思いけるかな』

音楽はいにしえの人の心模様を、その世界観を今に伝える役割も担えることがわかりました。百人一首にカルタ以外の楽しみを見つけました。昨年から今年にかけて百人一首全てを作曲されたと聞いて、薮田氏の内に秘めた力からの大きさを思いました。

ヴォーカリーズ曲

『天女』:辰巳真理恵さんの清らかなソプラノの歌声が舞い降りる天女そのものでした

『風神雷神』:辰巳真理恵(Sop)、高柳圭(Ten)に今井俊輔(Bar)が加わった演唱は風神雷神がいっとき屏風から抜け出て会場を思うがままに暴れ回っているようでした。

◇オペラ『椿姫』ハイライト

 

 

 

 

 

 

 

1月のサントリーホールブルーローズ、6月原宿のジャルダンドルセーヌ、そして今回、三鷹芸術文化センターでオペラ『椿姫』のハイライトを様々な角度から楽しむ機会となりました。今回はヴィオレッタ(辰巳真理恵)、アルフレード(高柳圭)にアルフレードの父親ジェルモン(今井俊輔)も加わり、悲恋の背景も垣間見ることができるハイライトでした。

油絵と映像が不思議な融合を見せたプロジェクションマッピングが印象的でした。プロジェクションマッピングが大がかりな舞台装置の代わりに舞台情景、登場人物の内面を映し出していました。その技術と演出はオペラハイライトをそれ以上の舞台にしていました。舞台作りの面白さを知りました。

 

辰巳琢郎氏の朗読からは人間の温かみが伝わって来ました。観客と同じところに気持ちを置いていらっしゃるゆえの温かさかなと思いました

 

 

 

 

 

オーケストラの役割も担ってこのコンサート全体を支えたのはピアニスト水野彰子さんでした。前半浴衣を着物のように着こなし、ピアノから響く音も和というか昭和な雰囲気が醸し出される舞台でした。うってかわって『椿姫』ではピアノが持つ能力を最大に引き出し、オーケストラの役割を余すところなく果たしていました。

若い音楽家達が様々な挑戦をする機会となるコンサートをいつでも気軽に楽しむ環境ができていくとよいです。夢空間La Musicaは八王子でそのような機会をこつこつと作っていきたいです。

写真:プログラムより

 

 

マエストロDE落語「桂右團治落語会」第六回

マエストロDE落語「桂右團治落語会」第六回

高尾駅南口コーヒー&ワインダイニング、ヴィ・マエストロのキリリと効いた空調は歓迎のしるしと誰もが納得した7月22日夜、恒例となった「桂右團治落語会」を開催いたしました。

 

今回の演目

夏泥

「落語家は高座に座り、その日のお客様を見て演目を決めます」ここで一呼吸置いて「本日は泥棒の噺にします!」とのっけからうわっとのけぞり、思わず笑ってしまいました。―泥棒、けちん坊の噺をしても、悪口を言っても客席から文句が出ることはないというのが落語の世界の習いであるとの種明かしもありました―

もう一つ、「江戸の三大道楽と言ったら何?」という師匠の問いかけに「飲む、打つ、買う!」と勢いよい答えが返されました。残念ながら違いました。江戸の三大道楽は「園芸、釣り、文芸」と教えていただきました。「園芸」は椿、菊が対象だったそうです。「飲む、打つ、買う」は落語に出てくる三大道楽だそうです。初めて知りました。その中の「打つ」に囚われてしまっている長屋の住人と泥棒の駆け引きが『夏泥』です。

泥棒に入ったのに長屋住民のあまりの悲惨な様子、その住民、バクチ好きの大工との話のやりとりをする中で泥棒は三十銭、二十銭と懐からぐうたら大工に与え、ついには有り金全てを与えてしまい、最後には「陽気の変わり目にもういっぺん来てくれ」と言われてしまう。

この泥棒、そこそこにお金を持っているということは腕のいい泥棒なのか?そんな泥棒を手玉に取るぐうたら大工は一枚上手なのか?どちらもちょっと暮らす方向を変えると別の人生がありそうだが、これが落語世界の妙味でしょう。

子わかれ

酒癖、女癖の悪い腕利き大工熊五郎が別れた女房お光、子どもの亀坊と再び一緒に暮らすまでの行きつ戻りつの人情噺です。「子わかれ」は「上」「中」「下」の三部構成の内の「下」に当たります。

まともな暮らしに戻り、大工としての評判も取り戻した熊五郎のお光と亀坊に寄せる焦がれる思い、おませとあどけない子どもらしさが入り交じった亀坊の言動、お光のいじらしさそれぞれを仕草、表情、言葉で演じ、語り分ける様子は師匠の真骨頂に触れる思いがしました。同時に落語という演芸の奥深さに心を打たれました。高座に熊五郎、お光、亀坊三人がいました。

この落語会には会食時に、最先端科学技術からギリシャ哲学に至までどんな切り口でも楽しく、わかりやすくお話しをされる『碩学の長老』と密かに名付けさせていただいた「小松先生」にいつも参加いただいております。先生は桂右團治師匠の応援団です。そこで今回から落語をより楽しむ為のお話しをしていただくことになりました。

第1回落語入門

天照大神が天岩戸から出て来るきっかけになったのは「なぜこの私がいないのにみんな笑っているのだ」と気になったことだったというお話しから神様と笑いのつながりについて。また、現在落語家が羽織りを来て高座にあがる謂われなど短い時間に落語入門のエッセンスをギュッと濃縮して、楽しくお話しいただきました。

今回は5分という設定でした。次回からは「10分で知る落語」といたします。系統立ててお話しいただく予定です。

 

落語会の後の会食は毎回のことですが、ここで隣り合った方同士で話が弾みます。平服に戻られた師匠とお客様一人一人との交流も目玉です。

 

 

 

 

今回のプレート

 

 

 

 

 

 

 

 

日本歌曲大全集

日本歌曲大全集

明治の幕開けと共に始まった西洋文化を取り入れる動きの中に音楽もあったこと。「音楽取調係」が西洋音楽と日本の音楽を折衷した音楽教育を目指したこと。日本の西洋音楽の礎を築いた山田耕筰の歌曲に捧げた情熱等につての話を始めに聞くことができ、コンサートへ向ける期待の視野が広がりました。

「呂律が回らない」の語源は二種類ある日本音階『呂(りょ)』『律(りつ』この二つがゴチャゴチャに混ざってしまった状態「呂律(りょりつ)が回らない」からきているという話にそうだったのか、思わぬお土産まで手にした気分になりました。

演奏曲目の内半分は初めて聴く歌曲でした。独特の「語り」を取り入れた北原白秋作詞『ちびツグミ』、作詞ビートたけし、作曲新垣隆「死んだ犬」はこの日が初お披露目でした。新垣氏ご自身が登場され、日本音階で作曲したこと、高度成長期を過ごした日本人それぞれの心にある穴を歌っているという紹介がありました。切ないまでのやさしさにビートたけし氏の人間力を改めて思いました。

雅楽、民謡、都々逸などを五線譜に載せて作曲されているこれらの歌曲に接してみると、日本人の芸術性の高さを誇りたい気分になりました。また、「ロマンティストの豚」「さびしいかしの木」などは『唱歌』として小学校でも取り入れて欲しいと思いました。取り入れられているのかな。

発見がたくさんあったコンサートでした。その中でも深尾須磨子作詞橋本國彦作曲『舞~六代目菊五郎の娘道成寺によせて』は圧巻でした。10分ほどに及ぶ歌と語りが変幻自在に織り込まれるその様子は一人オペラ歌舞伎と驚嘆しました。歌舞伎役者の衣裳の早変わりも舞台上に見える感覚になりました。

かつしかシンフォニーヒルズ入口にはモーツアルトの銅像が立ち、玄関を入ると大きな階段が視界いっぱいに広がり、モーツァルトホールロビーに加山又造氏の絵画「陽春」が掲げられていました。加山又造氏の絵画に出会えるとは思っていませんでしたので、これも僥倖。ホールは音響も素晴らしく、公会堂という言葉の響きから想像するホールとはかけ離れた設備に葛飾区民、青砥に住む人を大変うらやましく、また区民のためにこのような施設を作る葛飾区に敬意を表したくなりました。寅さんの生誕地はやはり素敵なところでした。

 

 

 

 

 

HPより抜粋

かつしかシンフォニーヒルズは、1318席のモーツァルトホールと298席のアイリスホールを中心に、ギャラリー(展示室)・カフェテリアなどの機能を持つ本館と、会議室・視聴覚室・レクリエーションルームなどを備えた別館が、ペデストリアンデッキで結ばれています。

ブラームスの小径オペラコンサート

ブラームスの小径オペラコンサート

原宿駅を降りて賑やかな竹下通の一本裏側にあるレストラン「ジャルダン・ド・ルセーヌ」が会場。たった1本道を入っただけで竹下通りの喧噪とは全く別の世界が広がります。ここは『ブラームスの小径』と呼ばれ、ヨーロッパの静かで、緑豊かな一角にワープしたような場所です。

コンサート前にフレンチビュッフェの食事タイム。同じテーブルの方々と交わす何気ない会話もゆかしく、また満席となったレストラン全体の雰囲気も和やかで、既にこの段階で来てよかったと思ってしまいました。

コンサートの幕開けは藪田翔一作曲「風神雷神」。天空には音楽が満ちているとピタゴラス学派の人達は言ったそうですが、それを実感するデュオ演唱でした。メリハリのきいた雄大なメロディは風神雷神図を想像させます。しかし、その美しい音の流れは天女かと。コンサートタイトル【絢爛たる黄金の声饗宴】そのものでした。

前半の作曲家藪田翔一氏の作品が並びました。中原中也の詩の切なさ、美しさが優しく響きました。日本歌曲の新しい魅力を紡ぎ出す作曲家と思いました。それを美しく歌い上げる若い音楽家二人(辰巳真理恵さん、高柳圭さん)、ピアニスト水野彰子さんに拍手を送りました。

後半はラ・トラヴィアータから。言わずと知れたオペラですが、聴く度に新しい発見をします。オペラが作られた時代背景、当時の社会環境などを自分の中に少しずつ蓄えるごとに、また自分が年齢を重ねるごとに気付くことがあるものだと今回も密かに思いました。

 

 

 

 

 

辰巳真理恵さん、高柳圭さんの客席も舞台の一部としてしまう演出で楽しませました。演唱しながら全員と目を合わせる高柳圭さん、『私のお父さん』では客様の一人を〝お父さん〟として巻き込む辰巳真理恵さん、後ろに控えるピアニスト水野彰子さんの笑顔、音楽家と聴衆とが一体化して、これぞ饗宴と言えるコンサートでした。

 

 

スペインの叙情 エンリケ・グラナドス

スペインの叙情 エンリケ・グラナドス

天才ピアニスト・スペイン歌曲の最高峰作曲家と称されたエンリケ・グラナドスの歌曲、そしてピアノ組曲からの抜粋を聴くコンサート。

エンリケ・グラナドスは画家ゴヤと同時代に生き、ゴヤの描くマハ(粋な女)とマホ(伊達男)の世界に魅了され、ピアノ演奏で、歌曲で恋、陶酔、はかなさ、切なさを綴り続けたスペイン国民楽派の旗手!このような予備知識だった私は個人的にも強い思い入れのあるスペインの楽曲を楽しむつもりで会場で席に着きました。

聴いてはっとしました。スペインの楽曲ではあるけれど、「小唄」「端唄」はたまた日々の暮らしに潜んでいる「つぶやき」、そんな日本の『粋』な世界とつながる風景だと。遠い国の100年も前のセピア色の音楽ではなく、今も艶ある華を日本人の心にも咲かせる楽曲と思いました。

もう一つ、グラナドスの生地、カタルーニャ語の歌曲は『かほり』という言葉が似合うものでした。初めて聴くカタルーニャ語の響きはフランス語に近く、歌詞字幕が設置されていたおかげで歌詞も理解できました。読んでみると、高貴(上品)な『かほり』が詞になっていると思いました。スペイン語で歌われるマハ、マホは庶民の気持ちを、カタルーニャ語は貴族の気持ち、または夢を追うドン・キホーテのような郷士の気持ちを歌っているように思えました。

ピアノ組曲「ゴイェスカス」より『嘆き、またはマハと夜のうぐいす』、お門違いとは思いつつ、まず浮かんだのは『即興』という言葉でした。複雑に揺れ動くリズムがこの言葉を呼び起こしたのかもしれません。聴くうちにプログラム表紙に書かれている“スペインの叙情”とはこのことかと思いました。複雑に揺れ動いて、物憂げな様子が美しいメロディーにのせて描かれれていました。身をゆだねる心地よさに浸りました。

当日は音楽評論家、スペイン文化研究家の濱田滋郎先生がグラナドスについてのお話しをしてくださいました。グラドナスへ寄せる思いのほんの一端しか聞くことはできませんでしたが、優しい語り口は父上、童話作家濱田広介氏の作品を思わせました。グラナドスが戦争の犠牲となって49歳という若さでこの世を去った無念を話された時の静かな語り口が印象的でした。父上の著作「泣いた赤鬼」「竜の目の涙」「椋鳥の夢」などの世界にもつながるコンサートだったかと、極々個人的にひっそりと思ってみました。

 

 

 

(注:写真はちらし、プログラムより)

ハープリサイタル

ハープリサイタル

バレエ初体験に続いてハープ・リサイタル初体験。読売大手町ホールで行われたグザヴィエ・ドゥ・メストレ氏のハープリサイタル。

通常の管弦楽では客席からはその美しいフォルムの一部を眺めるのみでしたが、舞台の上にグランドハープのみが配置されている、これは刺激的でした。美しい胴の曲線、張られた弦を眺めるただけで、これから始まる演奏を勝手に思い描くのも刺激的な時間でした。

 

 

 

プログラム

マティオ・アルベニス(S.ミルドニアン編):ピアノソナタニ短調

グリーディ:古いソルチコ

イサーク・アルベニス:スペイン舞曲よりアストゥリアス

ハチャトゥリアン:2つの小品より第1曲「東洋的な踊り」第2曲「トッカータ」

タレガ(X・ドゥ・メストレ編):アルハンブラの思い出

デ・ファリャ(M.グランジャニー編):歌劇「はかなき人生」よりスペイン舞曲

(休憩)

フォーレ:ハープのための即興曲変ニ長調Op.86

ドビュッシー(H.ルニエ編):2つのアラベスク

ドビュッシー:「ベルガマスク組曲」より月の光

スメタナ(H.トゥルネチェック編):『我が祖国』より「モルダウ」

プログラム始めの4曲は初めて聴くものでした。グランドハープといえばヨーロッパの貴婦人をイメージしていましたが、それのみではなく、「土着」「民族」「東洋」「激しさ」このような側面もあると知りました。「トッカータ」はハープの胴をたたきながら奏でられ、そのエキゾティックな音色に私が持っているグランドハープに対する狭い、狭い認識の壁が綺麗に取り払われました。

ギターといえばこの曲かと思う「アルハンブラの思い出」は想像を超えた多彩な音色とその音色の奥行き、広がりの美しさに圧倒されました。ピアニッシモのトレモロは心がとろけました。

ピアニスト、パーヴェル・ネルセシアンの「月の光」は忘れることのできない演奏です。ハープの描く「月の光」で表される水面の輝きはどんなかと期待しました。とても美しい和音が印象的で、柔らかな響きが静かな風景を描き出し、ピアノ演奏とは別の世界を見ることができました。ただ、個人的にはネルセシアンの印象が強烈過ぎて、うまく切り分けができませんでした。こんな経験ができたこともよかったと感じました。

アンコールとは思えないアンコール曲に感動しました。「ベニスの謝肉祭」です。ハープとフルート両方のパートを合わせて演奏しました。あまりに聴きごたえのあるアンコール曲からもメストレ氏の楽器、グランドハープに対する姿勢がひしひしと伝わってきました。

グランドハープは弦の材料が音域によって金属製、ナイロン製と使い分けられているとのこと。音の柔らかさはここにあるのか、そしてギターと同じように指で弾くので、奏者の感情がダイレクトに表されることも聴く楽しみの一つかと思いました。

休憩時間にハープを側で見ることができました。弦に色がついており、お洒落だなと思いました。後でネットで調べ、「ド」には赤色、「ファ」には黒色(または青色)の弦が張られていると知りました。お洒落のためじゃないとわかり、知ってみれば当然かと心の中でクスリと笑いました。

ハープ奏者グザヴィエ・ドゥ・メストレ氏は長身でした。当然腕も長く(足の長かった、、、)、才能豊かなことは当然として、その肉体もグランドハープを奏でるべくしてこの世に誕生されたのだと思いました。

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