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薮田翔一歌曲集&椿姫ハイライト

薮田翔一歌曲集&椿姫ハイライト

 

日本の夏!とはっきりわかる湿度をまといながら赴いた三鷹芸術文化センター風のホール。ホール内は期待通りのほどよい空調、入口を彩る花、花、花。コンサートでよくお会いする方もちらりほらり。始まる前の独特の空気もコンサートの楽しみの一つ。

薮田翔一歌曲集

6月に始めて薮田氏のヴォーカリーズ曲『風神雷神』や中原中也の詩をに曲をつけた作品に出会い、どんな方だろうと強く興味を惹かれていました。今回、ご本人から直接お話しを聞くことができました。優しい風貌とすらりとした姿の内側に何事にも囚われない自由、繊細、力強い、遊び心等々をひっくるめた芸術性を宿している34歳の青年作曲家でした。辰巳琢郎氏に問われて話す様子は妙なたとえですが、平安王朝の貴族かと思ってしまいました。お祖母さまが中也の詩が好きで、翔一氏が小学生の頃からよく読んで聴かせてくれた体験が中原中也の詩に注目する作曲活動にも深く関わっているそうです。

 

人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそる叙情性をこんなに若い作曲家が伝えることができるのかと感嘆しました。

前半は日本歌曲ということで女性陣は浴衣姿、男性陣は白シャツに黒ズボンに下駄。下駄を履いて歌う感覚はいかようかなと歌う方々を気遣う気持ちを抱えつつ、季節の風情も一緒に楽しみました。

中原中也の詩による作品

エキセントリックと言われる中原中也の生き方から生まれた作品は音楽との馴染みがとてもよく、心に染みると2回聴いて思いました。

百人一首『君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思いけるかな』

音楽はいにしえの人の心模様を、その世界観を今に伝える役割も担えることがわかりました。百人一首にカルタ以外の楽しみを見つけました。昨年から今年にかけて百人一首全てを作曲されたと聞いて、薮田氏の内に秘めた力からの大きさを思いました。

ヴォーカリーズ曲

『天女』:辰巳真理恵さんの清らかなソプラノの歌声が舞い降りる天女そのものでした

『風神雷神』:辰巳真理恵(Sop)、高柳圭(Ten)に今井俊輔(Bar)が加わった演唱は風神雷神がいっとき屏風から抜け出て会場を思うがままに暴れ回っているようでした。

◇オペラ『椿姫』ハイライト

 

 

 

 

 

 

 

1月のサントリーホールブルーローズ、6月原宿のジャルダンドルセーヌ、そして今回、三鷹芸術文化センターでオペラ『椿姫』のハイライトを様々な角度から楽しむ機会となりました。今回はヴィオレッタ(辰巳真理恵)、アルフレード(高柳圭)にアルフレードの父親ジェルモン(今井俊輔)も加わり、悲恋の背景も垣間見ることができるハイライトでした。

油絵と映像が不思議な融合を見せたプロジェクションマッピングが印象的でした。プロジェクションマッピングが大がかりな舞台装置の代わりに舞台情景、登場人物の内面を映し出していました。その技術と演出はオペラハイライトをそれ以上の舞台にしていました。舞台作りの面白さを知りました。

 

辰巳琢郎氏の朗読からは人間の温かみが伝わって来ました。観客と同じところに気持ちを置いていらっしゃるゆえの温かさかなと思いました

 

 

 

 

 

オーケストラの役割も担ってこのコンサート全体を支えたのはピアニスト水野彰子さんでした。前半浴衣を着物のように着こなし、ピアノから響く音も和というか昭和な雰囲気が醸し出される舞台でした。うってかわって『椿姫』ではピアノが持つ能力を最大に引き出し、オーケストラの役割を余すところなく果たしていました。

若い音楽家達が様々な挑戦をする機会となるコンサートをいつでも気軽に楽しむ環境ができていくとよいです。夢空間La Musicaは八王子でそのような機会をこつこつと作っていきたいです。

写真:プログラムより

 

 

マエストロDE落語「桂右團治落語会」第六回

マエストロDE落語「桂右團治落語会」第六回

高尾駅南口コーヒー&ワインダイニング、ヴィ・マエストロのキリリと効いた空調は歓迎のしるしと誰もが納得した7月22日夜、恒例となった「桂右團治落語会」を開催いたしました。

 

今回の演目

夏泥

「落語家は高座に座り、その日のお客様を見て演目を決めます」ここで一呼吸置いて「本日は泥棒の噺にします!」とのっけからうわっとのけぞり、思わず笑ってしまいました。―泥棒、けちん坊の噺をしても、悪口を言っても客席から文句が出ることはないというのが落語の世界の習いであるとの種明かしもありました―

もう一つ、「江戸の三大道楽と言ったら何?」という師匠の問いかけに「飲む、打つ、買う!」と勢いよい答えが返されました。残念ながら違いました。江戸の三大道楽は「園芸、釣り、文芸」と教えていただきました。「園芸」は椿、菊が対象だったそうです。「飲む、打つ、買う」は落語に出てくる三大道楽だそうです。初めて知りました。その中の「打つ」に囚われてしまっている長屋の住人と泥棒の駆け引きが『夏泥』です。

泥棒に入ったのに長屋住民のあまりの悲惨な様子、その住民、バクチ好きの大工との話のやりとりをする中で泥棒は三十銭、二十銭と懐からぐうたら大工に与え、ついには有り金全てを与えてしまい、最後には「陽気の変わり目にもういっぺん来てくれ」と言われてしまう。

この泥棒、そこそこにお金を持っているということは腕のいい泥棒なのか?そんな泥棒を手玉に取るぐうたら大工は一枚上手なのか?どちらもちょっと暮らす方向を変えると別の人生がありそうだが、これが落語世界の妙味でしょう。

子わかれ

酒癖、女癖の悪い腕利き大工熊五郎が別れた女房お光、子どもの亀坊と再び一緒に暮らすまでの行きつ戻りつの人情噺です。「子わかれ」は「上」「中」「下」の三部構成の内の「下」に当たります。

まともな暮らしに戻り、大工としての評判も取り戻した熊五郎のお光と亀坊に寄せる焦がれる思い、おませとあどけない子どもらしさが入り交じった亀坊の言動、お光のいじらしさそれぞれを仕草、表情、言葉で演じ、語り分ける様子は師匠の真骨頂に触れる思いがしました。同時に落語という演芸の奥深さに心を打たれました。高座に熊五郎、お光、亀坊三人がいました。

この落語会には会食時に、最先端科学技術からギリシャ哲学に至までどんな切り口でも楽しく、わかりやすくお話しをされる『碩学の長老』と密かに名付けさせていただいた「小松先生」にいつも参加いただいております。先生は桂右團治師匠の応援団です。そこで今回から落語をより楽しむ為のお話しをしていただくことになりました。

第1回落語入門

天照大神が天岩戸から出て来るきっかけになったのは「なぜこの私がいないのにみんな笑っているのだ」と気になったことだったというお話しから神様と笑いのつながりについて。また、現在落語家が羽織りを来て高座にあがる謂われなど短い時間に落語入門のエッセンスをギュッと濃縮して、楽しくお話しいただきました。

今回は5分という設定でした。次回からは「10分で知る落語」といたします。系統立ててお話しいただく予定です。

 

落語会の後の会食は毎回のことですが、ここで隣り合った方同士で話が弾みます。平服に戻られた師匠とお客様一人一人との交流も目玉です。

 

 

 

 

今回のプレート

 

 

 

 

 

 

 

 

日本歌曲大全集

日本歌曲大全集

明治の幕開けと共に始まった西洋文化を取り入れる動きの中に音楽もあったこと。「音楽取調係」が西洋音楽と日本の音楽を折衷した音楽教育を目指したこと。日本の西洋音楽の礎を築いた山田耕筰の歌曲に捧げた情熱等につての話を始めに聞くことができ、コンサートへ向ける期待の視野が広がりました。

「呂律が回らない」の語源は二種類ある日本音階『呂(りょ)』『律(りつ』この二つがゴチャゴチャに混ざってしまった状態「呂律(りょりつ)が回らない」からきているという話にそうだったのか、思わぬお土産まで手にした気分になりました。

演奏曲目の内半分は初めて聴く歌曲でした。独特の「語り」を取り入れた北原白秋作詞『ちびツグミ』、作詞ビートたけし、作曲新垣隆「死んだ犬」はこの日が初お披露目でした。新垣氏ご自身が登場され、日本音階で作曲したこと、高度成長期を過ごした日本人それぞれの心にある穴を歌っているという紹介がありました。切ないまでのやさしさにビートたけし氏の人間力を改めて思いました。

雅楽、民謡、都々逸などを五線譜に載せて作曲されているこれらの歌曲に接してみると、日本人の芸術性の高さを誇りたい気分になりました。また、「ロマンティストの豚」「さびしいかしの木」などは『唱歌』として小学校でも取り入れて欲しいと思いました。取り入れられているのかな。

発見がたくさんあったコンサートでした。その中でも深尾須磨子作詞橋本國彦作曲『舞~六代目菊五郎の娘道成寺によせて』は圧巻でした。10分ほどに及ぶ歌と語りが変幻自在に織り込まれるその様子は一人オペラ歌舞伎と驚嘆しました。歌舞伎役者の衣裳の早変わりも舞台上に見える感覚になりました。

かつしかシンフォニーヒルズ入口にはモーツアルトの銅像が立ち、玄関を入ると大きな階段が視界いっぱいに広がり、モーツァルトホールロビーに加山又造氏の絵画「陽春」が掲げられていました。加山又造氏の絵画に出会えるとは思っていませんでしたので、これも僥倖。ホールは音響も素晴らしく、公会堂という言葉の響きから想像するホールとはかけ離れた設備に葛飾区民、青砥に住む人を大変うらやましく、また区民のためにこのような施設を作る葛飾区に敬意を表したくなりました。寅さんの生誕地はやはり素敵なところでした。

 

 

 

 

 

HPより抜粋

かつしかシンフォニーヒルズは、1318席のモーツァルトホールと298席のアイリスホールを中心に、ギャラリー(展示室)・カフェテリアなどの機能を持つ本館と、会議室・視聴覚室・レクリエーションルームなどを備えた別館が、ペデストリアンデッキで結ばれています。

ブラームスの小径オペラコンサート

ブラームスの小径オペラコンサート

原宿駅を降りて賑やかな竹下通の一本裏側にあるレストラン「ジャルダン・ド・ルセーヌ」が会場。たった1本道を入っただけで竹下通りの喧噪とは全く別の世界が広がります。ここは『ブラームスの小径』と呼ばれ、ヨーロッパの静かで、緑豊かな一角にワープしたような場所です。

コンサート前にフレンチビュッフェの食事タイム。同じテーブルの方々と交わす何気ない会話もゆかしく、また満席となったレストラン全体の雰囲気も和やかで、既にこの段階で来てよかったと思ってしまいました。

コンサートの幕開けは藪田翔一作曲「風神雷神」。天空には音楽が満ちているとピタゴラス学派の人達は言ったそうですが、それを実感するデュオ演唱でした。メリハリのきいた雄大なメロディは風神雷神図を想像させます。しかし、その美しい音の流れは天女かと。コンサートタイトル【絢爛たる黄金の声饗宴】そのものでした。

前半の作曲家藪田翔一氏の作品が並びました。中原中也の詩の切なさ、美しさが優しく響きました。日本歌曲の新しい魅力を紡ぎ出す作曲家と思いました。それを美しく歌い上げる若い音楽家二人(辰巳真理恵さん、高柳圭さん)、ピアニスト水野彰子さんに拍手を送りました。

後半はラ・トラヴィアータから。言わずと知れたオペラですが、聴く度に新しい発見をします。オペラが作られた時代背景、当時の社会環境などを自分の中に少しずつ蓄えるごとに、また自分が年齢を重ねるごとに気付くことがあるものだと今回も密かに思いました。

 

 

 

 

 

辰巳真理恵さん、高柳圭さんの客席も舞台の一部としてしまう演出で楽しませました。演唱しながら全員と目を合わせる高柳圭さん、『私のお父さん』では客様の一人を〝お父さん〟として巻き込む辰巳真理恵さん、後ろに控えるピアニスト水野彰子さんの笑顔、音楽家と聴衆とが一体化して、これぞ饗宴と言えるコンサートでした。

 

 

スペインの叙情 エンリケ・グラナドス

スペインの叙情 エンリケ・グラナドス

天才ピアニスト・スペイン歌曲の最高峰作曲家と称されたエンリケ・グラナドスの歌曲、そしてピアノ組曲からの抜粋を聴くコンサート。

エンリケ・グラナドスは画家ゴヤと同時代に生き、ゴヤの描くマハ(粋な女)とマホ(伊達男)の世界に魅了され、ピアノ演奏で、歌曲で恋、陶酔、はかなさ、切なさを綴り続けたスペイン国民楽派の旗手!このような予備知識だった私は個人的にも強い思い入れのあるスペインの楽曲を楽しむつもりで会場で席に着きました。

聴いてはっとしました。スペインの楽曲ではあるけれど、「小唄」「端唄」はたまた日々の暮らしに潜んでいる「つぶやき」、そんな日本の『粋』な世界とつながる風景だと。遠い国の100年も前のセピア色の音楽ではなく、今も艶ある華を日本人の心にも咲かせる楽曲と思いました。

もう一つ、グラナドスの生地、カタルーニャ語の歌曲は『かほり』という言葉が似合うものでした。初めて聴くカタルーニャ語の響きはフランス語に近く、歌詞字幕が設置されていたおかげで歌詞も理解できました。読んでみると、高貴(上品)な『かほり』が詞になっていると思いました。スペイン語で歌われるマハ、マホは庶民の気持ちを、カタルーニャ語は貴族の気持ち、または夢を追うドン・キホーテのような郷士の気持ちを歌っているように思えました。

ピアノ組曲「ゴイェスカス」より『嘆き、またはマハと夜のうぐいす』、お門違いとは思いつつ、まず浮かんだのは『即興』という言葉でした。複雑に揺れ動くリズムがこの言葉を呼び起こしたのかもしれません。聴くうちにプログラム表紙に書かれている“スペインの叙情”とはこのことかと思いました。複雑に揺れ動いて、物憂げな様子が美しいメロディーにのせて描かれれていました。身をゆだねる心地よさに浸りました。

当日は音楽評論家、スペイン文化研究家の濱田滋郎先生がグラナドスについてのお話しをしてくださいました。グラドナスへ寄せる思いのほんの一端しか聞くことはできませんでしたが、優しい語り口は父上、童話作家濱田広介氏の作品を思わせました。グラナドスが戦争の犠牲となって49歳という若さでこの世を去った無念を話された時の静かな語り口が印象的でした。父上の著作「泣いた赤鬼」「竜の目の涙」「椋鳥の夢」などの世界にもつながるコンサートだったかと、極々個人的にひっそりと思ってみました。

 

 

 

(注:写真はちらし、プログラムより)

ハープリサイタル

ハープリサイタル

バレエ初体験に続いてハープ・リサイタル初体験。読売大手町ホールで行われたグザヴィエ・ドゥ・メストレ氏のハープリサイタル。

通常の管弦楽では客席からはその美しいフォルムの一部を眺めるのみでしたが、舞台の上にグランドハープのみが配置されている、これは刺激的でした。美しい胴の曲線、張られた弦を眺めるただけで、これから始まる演奏を勝手に思い描くのも刺激的な時間でした。

 

 

 

プログラム

マティオ・アルベニス(S.ミルドニアン編):ピアノソナタニ短調

グリーディ:古いソルチコ

イサーク・アルベニス:スペイン舞曲よりアストゥリアス

ハチャトゥリアン:2つの小品より第1曲「東洋的な踊り」第2曲「トッカータ」

タレガ(X・ドゥ・メストレ編):アルハンブラの思い出

デ・ファリャ(M.グランジャニー編):歌劇「はかなき人生」よりスペイン舞曲

(休憩)

フォーレ:ハープのための即興曲変ニ長調Op.86

ドビュッシー(H.ルニエ編):2つのアラベスク

ドビュッシー:「ベルガマスク組曲」より月の光

スメタナ(H.トゥルネチェック編):『我が祖国』より「モルダウ」

プログラム始めの4曲は初めて聴くものでした。グランドハープといえばヨーロッパの貴婦人をイメージしていましたが、それのみではなく、「土着」「民族」「東洋」「激しさ」このような側面もあると知りました。「トッカータ」はハープの胴をたたきながら奏でられ、そのエキゾティックな音色に私が持っているグランドハープに対する狭い、狭い認識の壁が綺麗に取り払われました。

ギターといえばこの曲かと思う「アルハンブラの思い出」は想像を超えた多彩な音色とその音色の奥行き、広がりの美しさに圧倒されました。ピアニッシモのトレモロは心がとろけました。

ピアニスト、パーヴェル・ネルセシアンの「月の光」は忘れることのできない演奏です。ハープの描く「月の光」で表される水面の輝きはどんなかと期待しました。とても美しい和音が印象的で、柔らかな響きが静かな風景を描き出し、ピアノ演奏とは別の世界を見ることができました。ただ、個人的にはネルセシアンの印象が強烈過ぎて、うまく切り分けができませんでした。こんな経験ができたこともよかったと感じました。

アンコールとは思えないアンコール曲に感動しました。「ベニスの謝肉祭」です。ハープとフルート両方のパートを合わせて演奏しました。あまりに聴きごたえのあるアンコール曲からもメストレ氏の楽器、グランドハープに対する姿勢がひしひしと伝わってきました。

グランドハープは弦の材料が音域によって金属製、ナイロン製と使い分けられているとのこと。音の柔らかさはここにあるのか、そしてギターと同じように指で弾くので、奏者の感情がダイレクトに表されることも聴く楽しみの一つかと思いました。

休憩時間にハープを側で見ることができました。弦に色がついており、お洒落だなと思いました。後でネットで調べ、「ド」には赤色、「ファ」には黒色(または青色)の弦が張られていると知りました。お洒落のためじゃないとわかり、知ってみれば当然かと心の中でクスリと笑いました。

ハープ奏者グザヴィエ・ドゥ・メストレ氏は長身でした。当然腕も長く(足の長かった、、、)、才能豊かなことは当然として、その肉体もグランドハープを奏でるべくしてこの世に誕生されたのだと思いました。

バレエ「真夏の夜の夢」

バレエ「真夏の夜の夢」

滅多に応募しない、そして滅多にというよりほとんど当たったことがなかった懸賞募集にたった1枚の葉書を出したところ、バレエ「真夏の夜の夢」のチケットが当たってしまいました。これこそ「初夏の夢」と勇んで会場へ足を運びました。会場は新国立劇場中ホール。席はS席。公演は所沢に本拠地を置くNPO法人NBAバレエカンパニー。

バレエ公演に足を運ぶのは初めてでした。何もかもが素晴らしく、この楽しさを今まで知らなかったとはなんということだったのだろうと自分に問いかけたほどでした。

バレエは踊る技術に勝るとも劣らない重要な要素はマイムなんだと思いました。舞台の一人一人がマイムで語りかけているのでどこか一点を集中して見ることができず、目が上下左右に引っ張られるようで、そのことにも楽しく興奮しました。バレエを楽しむことに慣れていけば余裕も出るのかと思いつつ、身を乗り出しっぱなしで舞台を見つめました。とにもかくにも楽しかった。

 

 

 

妖精パックの表現力と技術と体力に驚かされ、魅了されました。宙づりだったかと思えば次の瞬間には舞台上にいる、いたずら好きな様子が美しいコミカルな動きで表現され、またちょっとした仕草におっちょこちょいぶり、そしてやさしさが感じられ、心の中で感嘆の声が響きっぱなしでした。

 

 

 

 

ロバにされたボトムは大きなロバの頭を被った状態で軽やかな踊りをくり広げる姿は美しく、可笑しく、これまた感嘆しました。ロバから人間に戻った時の戸惑いと喜びの表情が離れた客席からもはっきりとわかりました。

子ども達が演じる妖精が物語を語る重要な役割を果たしていると感じました。その踊りは子どもといえども、プロ意識に満たされており、かわいらしい軽やかな踊りで語る姿に魅了されました。妖精王夫妻の養子「とりかえ子」もその役どころを表現する仕草、踊りは秀逸でした。大人、子どもという区別は間違いかなと思ったほどでした。

 

 

 

最後に主役二人、ティターニア(妖精の王女)とオベロン(妖精の王)のパドドゥは繊細大胆、、、、なんと言えばよいのか初心者には表現が出来ませんが、とにかく圧倒される美しさがありました。

どの瞬間も特筆に値するバレエも、さあこれでオシマイ!と思ったところに天井から金の雪が降り注ぎ、またまた興奮のるつぼに引き戻されました。演出にも心を鷲づかみにされました。鷲づかみと言えば舞台前方に降りてきた森のシルクスクリーンも特筆に値しました。スクリーンの向こう側で踊る妖精の子ども達がまるで下草の上で、つまりシルクスクリーンの中で踊っているように見える装置となっていました。

次はチケットを購入してバレーを見に行きます。さて、何に行こうか。まずはチケットをプレゼントしていただいたNPO法人NBAバレエ団かな。

(注)使用した写真はプログラムより抜粋したものです。

 

 

あなたに聴いてほしい アイリッシュハープの調べ

あなたに聴いてほしい アイリッシュハープの調べ

芭蕉の句「さみだれをあつめてすずしもがみがわ」-「五月雨をあつめて早し最上川」とは違い、全てひらがなで表されています-という趣を感じる五月雨ではありませんでしたが、肌寒い雨が夕方まで続いた13日(土)、ヴィ・マエストロで高尾倶楽部「あなたに聴いてほしい アイリッシュハープの調べ」を開催しました。

生活と共にある、語り継がれてきた音楽を奏でるとおっしゃるアイリッシュハープ奏者梶伸子さん3回目の登場です。悲しみに涙する時、喜びに元気をみなぎらせる時、静かに眠りにつく時、アイリッシュハープの音色がそれぞれに寄り添う様を紹介する梶伸子さんのお話しにまず気持ちが惹かれました。

こんなお話しもありました。

小さなお子様が嬉しい時、悲しい時、眠くなった時、どのような時でも童謡「ぞうさん」をねだり、お母さんはその時の状況に合ったテンポで歌ってあげるそうです。そうするとその子の気持ちとお母さんの歌声が交叉して、よい空気に包まれる。

暮らしの中で流れる音楽は自由であってよいし、ひとりひとりが紡ぎ出すものということでしょう。

 

アイルランドの国民的作曲家、最後の吟遊詩人と称せられるキャロラン作曲の『ブライアン・ボルー・マーチ』-マーチというよりは民族ダンスをしながら進む、そんなイメージの曲-、キャロランがアイリッシュハープ奏者から作曲家へと転向するきっかけとなった曲『シーベグ・シーモア』の2曲が最初に演奏されました。曲から伝わる《やさしさ》や《哀愁》は日本人の《情》に通じるものがありました。ケルト音楽、またはスコットランド民謡が日本人にも深く愛される理由はここにあるのではないでしょうか。

キャロランは、主にパトロン(貴族など)の求めに応じて曲を作る、パトロンの記念日、例えば結婚式などで作曲して贈る、あるいは友人のために作り、曲名にその人の名前がつけられていることが多いそうです。他の方に向けられて作られたとはいえ、そのメロディは私達の心の琴線に触れる思がしました。お客様の背中が物語っていました。

コンサートの始めに気持ちが向いたら一緒に歌ってください、と案内はいたしましたが、やはり声を出すのはハードルが高いのかなかなかスムーズには運びませんでした。しかし、徐々に気持ちもほぐれ、小さな声、ちょっと響く声、いろいろな声が聴かれ始め、ヴィ・マエストロの店内は淡く色づきました。沖縄の音階とアイリッシュハープの音色がとてもよく合い、参加者の歌心をかき立てたのかもしれません。

食事タイム

いつも美味しい料理を作ってくださるソムリエ原岡孝治さんに今回、初めてプレートの料理を紹介していただきました。いつも忙しく動き回っている原岡さんに始めて客席に登場いただきました。

ヴィ・マエストロの壁面

5月11日から6月6日までは『顔万街』と題してニット作家 せきともこさんの作品が飾られています。芸術家の顔、有名な彫刻・絵画がニットで表現されています。写真の水玉模様の洋服を着た草間彌生さん、ダリ、ゲルニカとピカソ、などなど大変興味深い展示です。コーヒー、ワイン片手に壁面の彼らと会話してみてはいかがでしょうか。

桂右團治落語会@ヴィ・マエストロ

桂右團治落語会@ヴィ・マエストロ

会場となるヴィ・マエストロの窓外は桜満開、朝からの花時雨もあがった土曜の夜、『マエストロDE落語第五回 桂右團治の会』を開催しました。落語は好きでも、その世界のことには疎く、会の度に勉強を重ねようと昨年3月19日に始めた会は今回で2年に入りりました。

 

 

 

 

落語を聴く個々人の楽しみにひと味加えたいという提案に師匠が応えてくださり、落語を聴く前に全員で「あっはっは体操」を行っています。お腹の底から大きな声を出すと初めて参加された方のちょっと緊張した気分を和らげます。常連さんは今日はもっとよい声を出そうともしかしたら密かに競っているかもしれません。

 

終演後の食事歓談の中で「今日は桂右團治師匠の落語を聞きに来たが、ここ出会った人との縁を大切にしたい」とおっしゃる方が何人かいらっしゃいました。“大人の遊び場交叉点”を目論む主催者としては嬉しいことばでした。

【今回の演目】

熊の皮

ある時女房に「おい」と呼ばれて「はい」と返事をしてしまったことが家庭内における上下関係逆転のきっかけだったと振り返る正直者だが、行儀作法はとんと疎い八百屋の甚兵衛さんと女房のやりとりは日常生活の鬱憤をあっはっはとはき出せます。お赤飯のお礼口上を教えられ、その口上を医者の前で四苦八苦で語る姿はまさしく落語の世界です。その甚兵衛さんが医者を前に「あんたを好きじゃない」と二、三度言い放つ場面があります。落語を聴いていると、使われる言葉の潔さや、やさしさに触れて、笑いと同時に気持ちが洗われます。そして、普段なかなか口にはできない言葉を甚兵衛さんのようにすぱっと言い切る場面に出会うと、自分が言い放ったような気になり、爽快な気分に満たされます。

抜け雀

小田原宿で夫婦だけで切り盛りしている小さな旅籠が舞台。どの宿も客引きしないぼろぼろの風体の男を「百両ほども内金を入れようか」と言う言葉に欣喜雀躍した亭主がこの男を客として引っ張り込むところから始まるこの落語は『熊の皮』とは違い、大笑いする噺ではない。亭主と客、女将と亭主のやりとりにくすりと笑ってしまう、お殿様が雀が描かれた衝立に提示した千両、籠が書き加えられた衝立に二千両という金額。一両が今の10万円と知って何となく笑みが浮かぶ、そんな噺。

ぼろぼろの風体の泊まり客の描写、気が良く、貧乏くじを引きがちでおっちょこちょいではあるが、墨をすりながら「ああいい匂い」という辺りに芸術になにがしかの思いがありそうな雰囲気を漂わす宿屋の亭主の描写など落語家の語りを楽しむ噺と思いました。親子の不器用だがまっすぐな情愛、師弟としての有り様が爽やかな空気を漂わせて噺が閉じられました。

【鉛筆画】

ヴィ・マエストロの壁には季節に合わせ、主にマスターの奥さま中神ふさ子さんの作品が掛けられています。現在は田村順正(たむらよしまさ)さんが描かれた多摩御陵、浅川周辺の風景画が掛けられています。4H鉛筆のみで描かれた細密画です。ヴィ・マエストロの薫り高いコーヒー、厳選されたワインなどを楽しみながら壁一面に清楚に並ぶこの鉛筆画を鑑賞されてはいかがでしょうか。5月6日まで鑑賞することができます。

 

 

4月1日コンサート

4月1日コンサート

春だというのに気温は真冬、これこそエイプリルフール?と思う4月1日に開かれたそのタイトルも「4月1日コンサート」(於:代官山教会)。河口三千代さん(ソプラノ)の企画で、音楽と語り、落語のコラボでした。ちらし、チケットの製作、プログラムデザイン、そして当日スタッフとして参加しました。当日は急遽補助椅子を出す算段をしなければならないほどの盛況となりました。

出演者

河口三千代(ソプラノ)

武井直美(ソプラノ)

佐藤由里亜(ピアノ)

渡辺美佳(ピアノ)

桂右團治(落語・語り)

 

 

 

 

ウッドブロック、タンバリン、住職から借りてきたという鈴(りん)、他のパーカッションも登場し、聴く楽しみに見る楽しみも加わりました。にわとりの叫びは会場を湧かせました。聴く楽しみという点では、あまり聴く機会のないピアノ連弾(森の熊さん 他)、中田喜直氏、別宮貞雄氏、それぞれの作曲による日本歌曲『さくら横丁』を武井直美さん、河口三千代さんが歌い分けました。同じ歌詞でも作曲者により印象が違うこと、ソプラノとひとくちに言っても、音色は様々であること、などなどが伝わったのではないかと思います。そしてもう一つ、演奏の導入として所々で挿入された桂右團治師匠の語りも出色でした。落語家の語りはいわゆる『語り』とは別の世界が広がると思いました。

見る楽しみも小道具だけではありませんでした。音楽家達のパフォーマンスはもちろんですが、桂右團治師匠の初ドレス姿、落語とは趣を異にするパフォーマンスや小道具を使って演奏を盛り上げる姿はここだけの楽しみでした。

遠くは金沢、福岡からこの日のために足を運んでいただいたお客様、4歳の男の子は初体験の落語「長屋の花見」に聴き入り、落語をまた聴きたいと帰りがけに師匠に話しておりました。落語を生で初めて聴いて感激したという音楽ファンのお客様、音楽と落語家のコラボに新しい発見をしたという桂右團治師匠のファンの方々、それぞれに新しい楽しみを発見されたようでした。

4月1日に開催することにこだわり、プログラム構成は言うまでもなく、どのように楽しんでもらうか、楽曲の魅力をどのように表現するのか、お客様にどのような世界を楽しんでいただくのか、音楽家と落語家が練りに練ったコンサートでした。

 

 

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